「怒りの感情」をギフトにしてしまう方法とは

むかつく!腹立たしい!悲しい、、、イライラするなぁー
なんでそうなのー、分からないのかなぁー、もうー、信じられない!

そういう強い感情になって、体中がふつふつ熱く沸騰するような感覚になることって、誰しもあるはず。すごーく穏やかで悟っているような人ならともなく、大概の人間は、根が我慢強かったり、優しかったりしたとしても、どうにもならないイライラした感情って、(かなり頻繁に)経験するものだと思います。

私も経験するどころか、以前は、キレやすいほうで、特に娘に対しては、感情のコントロールができずに自分を見失って、すごい剣幕で怒ってしまうこともありました、、、あとでものすごーく反省するのだけれど、その時は歯止めがきかなくなっちゃう感じで、どうしたらそれを手なづけることが出来るんだろう?としばらくの間は途方にくれていました。自分を責めたり、一生こういうクセはなおらないんじゃないかと不安になったり、諦めたりもしていました。

今はとてもありがたいことに、NVC(非暴力コミュニケーション)というツールを手に入れたり、数々のマインドフルネス・プラクティスを行なったりする中で、「怒りへの対処の仕方」が思いっきり変化しているのを感じています。もちろん完璧にいかないこともあるけれど、以前に比べたら、劇的な変化。あぁーこういう考え方があったんだ!という驚きとともに、本当に人生救われたなぁ!と心が安堵し喜んでいる感じです。

ほかの方の感情コントロールにもお役にたてばという思いで、ここに私流「怒りの考え方と対処法」をまとめてみました。

 

怒りを追いやらず、抱きしめて味わってあげる

まず、NVC(非暴力コミュニケーション)を知って、大打撃だったのは、「怒りはいい感情だ」という考え方です(「いい/悪い」という評価もないのですが、あえていうならば)。怒りに限らず、不安や悲しい気持ちというのは、当然、人間なら誰しも感じる感情で、それは嬉しいとか楽しいとか安心してるとか、いわゆる「ポジティブな感情」と同じぐらい、大切な感情だということ。

というのも、怒りは「自分の中で何が満たされていないか」ということを知る目覚まし時計のようなもの。(この「何が」というものを、NVCでは「ニーズ」と表現しているのだけれど、詳しいことはここでは触れません。それだけで本が一冊かけちゃう!)

とにかく、怒りも悲しみも寂しさも、自分の感情はぜーんぶ等しく大切な感情であって、じゃぁ、それはなんで発生しているのか、その大元の根っこは何か?ということに焦点をあてていくわけです。

ワークショップでは、こういうカードを使って、自分の大切にしていること(ニーズ)を明らかにしていきます。

ワークショップでは、こういうカードを使って、自分の大切にしていること(ニーズ)を明らかにしていきます。

NVCの本にはこう書いてあります。p.246 

怒りを無視したり、押し込んだり、飲み込んだりすることを奨励しない。それよりも、怒りの核心を心の底からじゅうぶんに表現するよう勧める。

これまでは、怒っちゃいけない、優しい人間でいなくては。悲しんじゃいけない、もっと楽しいことを考えなくては。そんな風に、見ないふり、無視して、蓋をして、追いやってどうにかその場しのぎをしてきたんだと思います。でもそれだと解決しないんですよね。また亡霊のように忍び足で、あるいは突発的にやってきて、ぐわっと自分を飲み込んでしまう。

だから無理に「朗らかで穏やかな人間になろう」とか、本当は怒っていても「なるべく大したことじゃないって思って、忘れよう」って無駄な努力をするのではなくて、悲しみや嫉妬、怒りや不安などの感情があっても、それを追いやらないということが第一ステップです。怒る自分を、思う存分、許してあげましょう。怒っている!と言っていいんだ、怒りを感じていいんだ!ということです。

怒りの主体ではなく、怒りの客体になる

ではどんな風に感じるのか? 怒りは突発的にやってくることが多くて、その現場でどうコントロールしたらいいか分からない!という場合も多いですよね。

一番、手っ取り早いのは、深呼吸。一呼吸おくということです。誰かが何かを言ったとかやったとかがトリガーになって、とっさに反応して、「あの人のせいで!」「あなたがこうだから!」となりがちだけれど、一呼吸おく。そう、カッとなったら、まずは深呼吸ですね。これが一番の特効薬。難しいからこそ、怒りがこみ上げてきたら、これを習慣化する癖をつけましょう。

つまり、今ここに気持ちを落ち着かせるということなんです。マインドフルネスを培うプラクティスです。怒りに占有されて、そこから派生する感情に支配されないように、「怒りの主体ではなくて、怒りの客体になる」ということ。つまり、「自分が怒りそのもの」にならずに、「あ、私、今怒ってるな」と、第三者的に気づくということです。

“THE POWER OF NOW”でも有名なエクハート・トーレも、そのシフトに意識が行くと、「怒りに飲み込まれないどころか、怒りが落ち着いてくる」と言っています。この飲み込まれない、というのが大事。頭が「自動操縦モード」になっていると、カーー!としてしまうけれど、そうはさせない。

 

 

これはNVCでは、「自己共感」という言い方をします。「あ、今怒ってるんだね」と怒りによりそってあげるということ。第三者の視点から、怒っている自分を見つめてあげるのです。そうすると、だいぶ怒り自体がおさまってくるのを感じるでしょう。

その際に、「身体感覚に意識をもっていく」ということも助けになるかもしれません。どうしても頭のほうに、カーー!っとエネルギーが行き出して、様々な批判的・攻撃的な思考が始まってしまう。そうではなくて、「今、胸のあたりが苦しいな」とか「体全体がカッカしてきてる!」とか、今ここの身体感覚に意識を向ける。そうすることで、怒りの矛先が外側に出て行かずに、感覚を自分の内側にとどめておくことがしやすくなります。

 

大きなマインド・シフトは、「主語を変えること」で起きる

では怒りを、どう表現するか?たいてい怒る場合、「あなたが〜したから」とか「社会が〜だから」と自分の外側に原因があるように感じてしまい、それを責める、攻撃する。自分は正しい、それ以外のことが間違っていると、ほかの物事の落ち度を探してしまうわけです。

でも本当にそうでしょうか?

深呼吸して、身体感覚に意識をもっていって、少し落ち着いて考えると、実は「相手は怒りの刺激ではあるけれど、原因にはなっていない」ということが分かってきます。怒りの原因は、実は非難したり決め付けたりする、自分自身の中にある。つまり、こういうことです。

「部屋がいっつも散らかっていて、ほんとにやんなっちゃう!何回言ったらわかるの?早く片付けなさい!」

これはうちの娘が「言うことをきかない」「怠けている」「だらしない」「身の回りの整理整頓など、生活の基本的なことができていない」と私が「決め付けて(評価して)いる」からこそ、怒ってしまうわけですよね。怒りは「自分の中で何が満たされていないか」ということを知る目覚まし時計のようなものだ、と前述しました。この場合の「何が」は、「娘の理解」「協調的な生活態度」「自立」「自主性」「整理整頓」「生活の中の秩序」ということかもしれない。そういうニーズ(価値観)があるからこそ、私は怒ったわけで、そういうものがどうでも良かったら、怒らなかったわけです。

だからその怒りの背後にある「ニーズ」、つまり何が満たされていないのか?を探ってみると、実は相手はトリガーになっているだけで、「すべての感情の大元は自分自身が必要としていることとの結びつきが損なわれてしまったことへの嘆き」から勃発することが分かります。このことを習得したことは、私にとっては、とてつもなく大きなシフトでした!外側の「せい」だと思っていたけれど、それは自分の価値基準をもとにした評価や判断に過ぎなかったんだ!って。

この場合は、こんな風に言い換えられます。「床の上に服が落ちてるのをみると、イライラしちゃう!お母さんは、清潔なところで住みたいし、あなたにも片付けに協力してほしいから(この場合、「清潔」「協力」がニーズ)」

「ニーズ」を探すためには、鋭い集中力、それに繰り返し練習することが必要です。しかもたっぷりと時間をかけて。私たちは、自分の内側にあるニーズにコネクトすることなく、たいていは外側のものを裁くことになれてしまっています。自分は何を大切にしているんだろう、そこに目を向けるクセをつけるわけです。怒ってる!と捉えた時は、自分が何を本当に大切にしているかを知るチャンスです!

おすすめは、主語を「あなた」とか「社会」ではなくて、「私」に変えること。「私は自分の時間を大切に使いたいから、あなたが時間に遅れてきたので、イライラしてる」というのと、「あなたが遅れてきたせいで、私はイライラしてる」というのでは、話す側のエネルギーも、受け取る側のエネルギーも違いますよね。

「あなたが〜したから怒っている」ではなくて、「わたしは〜を必要としているから(それが叶わずに)怒っている」と、意識的に言い換えることで、大きなシフトが経験できるはずです。

実は「怒りは、大切な贈り物(ギフト)」だ!

こんな風に、怒りの感情を見ていくと、それは実はギフトだということが分かってくる。つまり、こういうことが言えるんでなないでしょうか。

「自分の感情の責任は、すべて自分」という、開放感と自由さが手に入る!

人を変えることはできないから、そこに躍起になっているよりも、自分自身のワークに集中したほうが、理にかなっているし、楽しい。そして、自分の感情って自分次第なんだという気づきは、とてつもなく大きな開放感と自由を、(私の場合は)差し出してくれました。誰に翻弄されることなく、全ては自分次第!という、無敵な感覚が手に入ります。

自分が望んでいるものが得られる確率が高くなる!

「あなたのせいで、こうなったのよ!」と怒りをぶつけたら、その相手は非難されていると受け取り、「だってさー」とか「あなただって」と返してくる可能性が高いですよね。ケンカにはケンカで返すというのが、人間の一般的なパターンです。

それを例えば、こういう風に伝えたらどうでしょう。「私は◯◯が必要だけれど、それが叶わなかったので、悲しかった」。もちろん言葉を発するこちら側の心が完全に開いていて、相手を責める気持ちが微塵もないことが大前提だけれど、そういうエネルギーは伝わるもので、こういう言い方をしたほうが、言われた相手としても「そうか、ごめんね。次からは、もっと〜するね」と言ってくれる可能性が高まると思いませんか?

怒りの核には、人生を豊かにするための手がかりがかならずある」と、NVC本には書かれています。良く言われる、「アンガー・マネジメント」を超えて、「怒りはギフト」とさえ、今は思います。怒りは、自分が本当に大切にしたいことを示してくれる、羅針盤のようなものだから。

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戦争をふくむ、あらゆる対立の怒りも

ここに書いたことは、個人的な怒りの場面でどう対応するかの話しだったけれど、基本的にはどんなレベルの「怒り」も同じです。それが社会・政治問題に対してでも、地域間・国家間の戦争という形で表現される「怒り」に関してでも。それはスケールが違うだけで、心理構造は全部まるっきり一緒だと思います。私たちは、すぐに善悪の判断、道徳、一般常識、正義感などを持ち込んで、自分のことは棚にあげ、相手のことを裁くという回路になれきっている。自動的にスイッチが入ってしまって、攻撃に走ってしまう。その体質を一人一人が改める、まずはミクロレベル、今ここの私から変えていくしかないし、それができる!ということから来る力強さや希望をとことん味わっていきたいものです。みんなで。

 

さて15年ほど前に、師匠の一人サティシュ・クマールというイギリス人の思想家に聴いてみました。いつもとても穏やかな人なので、「サティッシュは、怒ったりしないんですか?」って。そしたら彼は、言いました「私は、20年前に怒ることをやめたんです。」その時は、本当にそんなことができるの?って思いました。でもね、去年、2回目のヴィパッサーナ10日間集中瞑想の時、「もう絶対に、怒らない!」というお告げみたいなものが光のように降りてきた時はびっくりしました。本当に内部システムがすべて入れ替わって、怒りというエネルギーが定着しない神経構造になってしまったという感覚でした。だから瞑想のパワーは本当に大きい。

でもね、それもしばらくは続いたのだけれど、インテンスな瞑想を続けていない限り、やっぱり怒りは戻ってきてしまうことも感じています。ただし今では怒りがこみ上げてきたら、ここに書いたようなことを実践しているので、その対処がとてもとても上手になりました。「火のような性質は生まれもった性質なので、変わらない、変わらなくていい!」と開き直っていたような所があったけれど、いやいやどうして、穏やかになった自分のほうがより好きだし、平和な存在になれていると思うと、ただただ嬉しいのです。ワークしてる甲斐があるな、っと。

インテンシブな瞑想もおすすめだけれど、そんな強烈な体験でなくても、ここに書いたようなちょっとしたことを気にかけるだけで、大幅に怒りのエネルギーがシフトして、ギフトになるはず。瞑想やマインドフルネスのプラクティスで、怒らない平和体質を手に入れ、NVCやソマティックな意識で、怒りを自己探求のギフトに変える。平和な心、平和な世の中のために、実践していけますように!

 

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