南太平洋って、どんなとこ?
来るまでに事前リサーチは若干していたものの、あんまりピンと来なかった「南太平洋」だけど、三日いるだけで、すごくリアルに感じられるのがすごいです。百聞は一見にしかず。これだから旅はやめられないっ!
南太平洋はハワイの下、赤道よりちょっと下に位置するあたりのエリアにあります。縮尺の小さな世界地図で見たら、日本とアメリカの間には海しかないけれど、広大な海には無数の島が散らばっていて、この国々がフィジー、トンガ、サモア、ツバルなど、合わせて「南太平洋諸国(South Pacific Islands)」と称されています。日本からの有名な観光のデスティネーションで知られる、ニューカレドニアもこの当たりに浮かぶ国。南太平洋諸国は、地理的にかなりニュージーランドに近いのには驚きました。
南太平洋諸国の国々は、ほとんどが小さな孤立した脆弱な島国なので、経済も文化も外交も協力しながら成り立っています。例えば、フィジーは島々の中でも面積でも大きく、地理的にも真ん中にあるお兄さん的な島で、そこの首都スバにある「南太平洋大学」には、12の国々の出身の生徒が集まって勉強しています。ほとんどの島には大学なんてないし、小学校だって島に一つ、という大きさなので、一つの国で機能するというより、南太平洋諸国が集まって支え合いながら機能している、というのがこのエリアの特徴です。
かといって、交通手段が発達してるわけでもないので、島同士の移動も楽ではありません。一つの島から島に行くのに、ヘタすると日本までフライトして、そこからハワイに飛んで、そこから島に飛ぶのが一番早い、という話も聞きました。船も一週間に数便しかありません。そのためもあって、南太平洋には世界に6000ある言語のうち、実に1500の言語が今でも話されているということです。それだけ先住民のカルチャーがいまだに息づいている、多様性にあふれる場所でもあるのです。
フィジー
フィジーは南太平洋のいろいろな意味での中心の国。といっても、ある程度栄えているのは、330もある島のうち、首都スバのあるビチレブ島ぐらい。ビチレブ島は、四国ぐらいの大きさで、人口の半分は、フィジー人で、残り半分はインド人、西洋人、中国人の順でいろいろ。特に首都のスバでは、インド系の人たちが目立ちます。イギリスの植民地だったころに、さとうきび産業のために、インドから渡って来た人たちが住み着いたんですって。
スバは大きくもなく小さくもなく、と行ったサイズの街で、市場が一つ、マクドナルドやケンタッキーも一軒ずつあります。無線LANがつながるカフェも数軒あるのは嬉しいです。ローカルフード以外に、チャイニーズやインド料理も楽しめます。今日は日本料理屋さんに行ったけれど、お寿司や鉄板焼きもリーズナブルな価格で美味しかったです。と言っても、1人3000円ぐらい。物価は日本の七割ぐらいで、思ったより高めです。
フィジーのほとんどの人がキリスト教徒。インド人も多いのでヒンドゥーやムスリム教徒も若干います。イギリスの植民地だったので、英語はかなりのところで使えますが、日常会話はフィジー語の場合も多いです。フィジー人はとにかく体が大きいのには驚きます。女の人とか、なんでこんなに大きいんだろう!という人たちばかり。
産業は観光業がメイン。でもハワイのように開発された高級リゾートはごく一部で、「のほほ〜ん」と出来る気軽に滞在できるリゾートが多いようです。(まだ行ってないから、分からないっ)
南太平洋大学(University of the South Pacific):
一般にUSPと呼ばれています。首都スバから海岸線をドライブして5分ぐらいにある南太平洋の12の国々の拠点となるかなり大きな総合大学で、ヤシの木のしげる広々としたキャンパスには、色々な島から集まった学生が勉強しに来ています。特に海洋生態学とか、海に関する学問が盛んなのが、この大学の特徴。教授陣は、フィジー以外にも、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカ、カナダ、インドなど色々なところから来ていて、実に多彩。長い人では30年以上フィジーにいて、研究を続けている教授もいます。皆さん、母国よりものんびりとした環境のなか、意欲的にに楽しく仕事していると言った印象です。
この3日間で、実にいろいろな先生に会いましたが、皆さんとても熱心に「これからの教育」について考え、実行に移して行こうとしていました。USPでは、教える科目や学科が、まだ「経済学」とか「生物学」とかっていう分断された学問領域に特化していて、学生は学んだ知見を実際にどう生かしていけるのか、良く分からない。もっと実践に役立つ教育、そしてサステナビリティーを取り込んだ教育にどう転換していけるか、というのが大きなチャレンジのようです。
一つの大きな流れであるのは、「西洋の教科書に頼るのではなくて、南太平洋のカルチャーや地域での取り組みをもっと伝えて行こう。」という考え方。例えば、この間も書いたビルさんを始め、数人の先生がたは、数十人ほどのローカルな村に学生たちと入って行って、村の人たちと科学的なデータ収集を行なったりしながら失われた生態系を復活させ、村の伝統や文化を守って行くという活動をしています。3000年も前から、フィジーの原住民の人たちは、陸や海の植物から薬を取り、魚を捕り、塩を作りと言った、自然と抱き合った暮らしをしてきました。それが近年の開発や、貨幣経済の波に飲み込まれて、村での生活が狂って来てしまっている。そこで村の人たちが大学の研究室と一緒になって、ワークショップを開いたりしながら、現金収入を確保しつつ村の生態系を保全する活動をしているのです。「参加型コミュニティー開発」と呼ばれるこの手法は、先住民族の暮らしを守り維持して行く、世界的にも有数の成功事例で、持続可能な世界を実現するための教育の必要性がさけばれている今、少しずつ注目が集まっているそうです。
この手法を、南太平洋のほかの島や、世界各国の少数民族にも広めて、文化の多様性を守って行きたい、というのが活動に携わる先生たちの願いです。彼らの活動や村での生活ぶりを取材して、遠隔授業の教材にしたり、(インターネットがない所も多いので)ラジオ番組や教科書にして広めて行きたい、と私も感じました。
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