幼少期編では、親のあり方について、NVCの基本的な考え方を書きましたが、今回はティーンネイジャー編。これがまた本当に深くて、、、涙、涙、涙。私はこの学びがあって、この先の子育て(=親のあり方)、本当に救われたなぁ〜、娘も反抗期も始まってちょっと怖さもあったのだけれど、何はともあれ少しは穏やかな気持ちで精一杯望めそう〜、ボーイフレンドやセックスのことだって心を開いて話し合えそう、とちょっと楽しみにもなってきています。
だから同じ世代のお子さんがいる親の方たちにも共有したい、一緒に学び実践していきたいという思いを強めていて、これからもワークショップやオンライン講座を開いていきたいと思っていますが、自分用にのメモ書きです。
まず抑えておきたいのは、ティーンネイジャー(13歳〜)やその年代にさしかかってくると(英語では、pre-teenと呼びます)、子どもは親から離れてくる。これは当然の成長。自分で決断して決めることも多くなってくるし(これをさせてあげないといけない)、親の影響、一緒に過ごす時間も減ってくる。これも当然。
子離れがしにくくて、影響下におこうと必死になってしまう親も多いけれど、これは手放してあげないと。(その点、私の親は本当にこれをよく実践してくれたと思う)もちろん言いたくなることもたくさんあるし、心配もつきない。その居心地の悪さを子どもに解消させてもらうのではなく、受け止めなければならない (sit with distres)。人によっては、10歳ぐらいから、毎年(誕生日などに)子どもが離れていく「嘆きの儀式」を執り行う人もいる。私もやろうと思った。
中学に入るちょっと前ころから、親と一緒にいたくない、それがかっこいいと思う態度を取り始めたりする。だからこそ、子どもが自分と接する機会の一瞬一瞬を大切に、つながり(コネクション)を見逃さないこと。そうした貴重な機会に、子どもを評価・判断することなく、自分の価値観を反映させ、思いやりのある頼りになる親の存在としてあり続けること。
セックスの話をする時も、これは特に大事。結局はNVC的なアプローチで、常につながりを持ち続けること、お互いのニーズを出し合ってコミュニケーションすること。そんな信頼のパイプが太ければ太いほど、思春期も乗り切れる。いつ子どもがそのつながりを求めてくるかは予測できないので、常に親のあり方を鍛え、整えておくこと。(マインドフルネス、セルフ・コネクション、感謝の気持ちを持つ、感情を捉える、観察と評価をごっちゃにしないプラクティスなどを通じて)
「子どもがどんな子どもになるか」そして「自分が親としてどうか」に関係性を見出さないこと!精一杯やるだけ。あとの結果は期待しない。子どもがどうなったとしても、自分の責任ではない。「あの子は親がいいから、いい子に育ったわねー」「あんなことしたら、私の親としての評価が下がるじゃない」という主流の考え方とは、決別すること。何があっても過去は過去だし、自分を許すこと。反省点があれば、今から変更すればいい。それしかできない。後悔して、子どもに謝って、許しを乞いても、何もならない。恥や罪の意識も何の役にもたたない。これがある場合は、共感を得たり、自己共感をして、自分の感情をよく見つめてあげる必要がある。(self compassion forgivenessのワークも効果的)
年齢が上がっていくにつれて、親の関与が少なくなると同時に、いろいろな物事を自分自身で決めていくようになる。親がコントロールして子どものために決めることを続けることに、年ごろの子どもたちはとっても敏感。少しでも親のパワーを感じると、そこからどんどん逃げていく。だから親の権威と力をますます減らし、良い選択ができるように、手助けをしてあげるという役割に死守しよう。あくまでもヘルパーの役割だということを自覚しよう。それが怖くても、少しずつ彼らを信じて委ねことが、健全な関係を持続させる。彼らが完全に独立して全部自分で決め、巣立っていくまで、毎回が練習のチャンスだと思って。
君はこれをすることで、自分のどんなニーズを満たせる、あるいは満たせない?
そのニーズを満たすための、ほかの戦略はないかな?
それは安全なこと?
この決断は、将来にどんな影響をもたらすと思う?(リスクと可能性)
君の直感は?
よく「親に話すと、心配するし、傷つけちゃうから秘密にしておこう」という子どもの感情がある(私もそうだった)。20歳になる娘を持つティムは、そんな状況を避けるために、娘が12歳の時にこう伝えたらしい。「君も、もう中学生だね。だからこれからは、君に関する全てのことは自分で決めたらいいよ。お父さんは、君にこうしろと言ったり、君が決めたことに口出しをしたりは一切しないと約束するよ。でも君が良い選択や判断ができるように、君の人生には関わっていたいんだ。だからお父さんに怒られるかもしれないからとか、心配かけちゃうかもしれないからという理由で、話さない、相談しないということは避けてほしい。確かにそのことでイライラしてしまったり、残念な気持ちになってしまうかもしれない。でもそれは僕が耐えるから大丈夫。その痛みよりも、お父さんと君のコネクションが無くなってしまうことのほうが、お父さんは辛いから」。
ほっほー。これは相当のコミットメント、、、、。ですが、親の力を誇示しないかわりに、娘とのつながりを確保続けるという選択を自覚的に行ない、それをはっきり言葉にして伝えるという判断は、お見事。そしてその後、ティムは、とても辛いこともあったけれど、娘の行動を一切ジャッジせず、彼女を見ごとに信頼して、いろいろある思春期も切り抜け、今でもとても良い関係を築いているそう。確かに嘘を吐かれたり、秘密で何かされたりするよりも、こうした親の選択を示したい、と私も思い始めています。
これも幼少期編で書いたことと、基本的には同じこと。「何時までに帰ってこないと、 夜遊びは禁止よ」「お手伝してくれたら、お小遣いをあげるわ」ということを、ついやってしまいがち。でもこういうことを続けていると、子どもはどんどん親とのコミュニケーションを拒み、ばれないように影でやったり、正直に話さなかったりするのがオチ。ただでさえ親の影響力や接点が少なくなってきているのに、これではどんどん子どもとのつながりが希薄になっていく。
ちょっとした視点の違いなのだけれど、「子どもに罰を与えて痛みを伴うという態度ではなく、自分自身の価値観に根付いて許容範囲を示す」という態度を心がけることが大事。
例えば、合意したスクリーン・タイムを子どもが破った場合。「約束を守れなかったから、1週間禁止よ」ではなく「なぜ守れなかったか、話し合おう」そして「どんなルールだったらお互いに納得できるか、もう一度、新たな合意形成をしよう。あなたからの提案を待ってるわ。それまで使用は控えよう」と提案するなど。許容範囲の設定は、変更も可能。でも破るたびに変更OKというのではなく、ある程度の一貫性を持って。
これからもしっかり娘と向き合って、親育ち、子育ちしていきたいな。なかなか難しい時期に差しかかるからこそ、気を引き締めて。娘が自分を大切に、まわりの人たちを大切にした最良の選択ができるようになるために。
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