念願の合気道を、習い始めました!
海外生活をしていると、必ず「OH ニッポン人!武術は、何ができるんだい?」と聴かれ、その度に、肩身の狭い思いをしていた私。意識の高い外国人の方が、日本人よりもよっぽど「丹田」とか「HARA(腹)の文化」とか、よーくわかっていらっしゃいます。
そこで「帰国したら、必ず何かしらの武道をやろう!」と決心していたんですが、京都の家の近くにとても良い合気道の道場 (本格的だけれども、親切だし、初心者大歓迎の場所)が見つかったので、しばらく通ってみることにしたんです。
合気道とは、「天地の気に合いする道」の意味だそうで、柔道、剣道、空手と並ぶ、日本を代表する武道の一つ。大正時代に、植芝盛平(うえしば・もりへい)によって、体系化され、英語では、「AI Unity / KI Energy / DO the way = AIKIDO」として広まっています。
合気道は試合がないので、「演武」という形で稽古の成果を発表しますが、現在の道主(合気道の一番偉い人)、植芝守央(うえしばもりてる)先生 (植芝盛平のお孫さん)の演武は、こちら。
いやぁー 、なんだかくるくる円状にまわっていて、華麗だなぁ、、、というぐらいの印象ですが、戦っていないのに、相手をどんどん倒しているのが、すごいなぁと思ってしまう。この、衝突しない「円」の動きと、「和合の精神」が、合気道の一つの特徴なんですって。
「争わない愛の武道」「動く禅」とも言われ、技の稽古を通してそれぞれが心身を鍛えることで、自然との調和、世界平和への貢献を行う、求道的な平和哲学を軸としているのが、合気道の特徴です。それが世界中の人たちから、精神鍛錬としても受け入れられている由縁なんでしょうね。
さて私が合気道に興味を持ったのは、「コミュニケーションにおける、愛の武道」とも言われる「NVC(非暴力コミュニケーション)」との共通点を、前々から感じていたからでもあります。
アメリカでNVCを一年間かけて集中的に学んでいた時に教わった、David Weinstockさんも、AIKIDO & NVCに共通点を見出しながら、身体性を伴ったNVCを伝えているお一人。
Davidは、相手の話を聴いて心を寄せる「共感」の練習をしていた時、「愛と守護のエネルギー(気)で相手を包むように心がけることが、合気道の哲学と全く同じだ!!」と発見し、以後、この二つの哲学/プラクティス(稽古)を組み合わせて教えることに精を出しています。
私も兼ねてから、「頭でっかちではなく、身体で感じるNVCを実践し、伝えたい」と実践したり、お伝えしたりもしています。合気道を始めたタイミングで、今一度、私が理解する合気道とNVCの精神を重ね合わせて、まとめて見ました。
抵抗すればするほど、戦おうとすればするほど、相手からの攻撃にあったり、自分も痛めつけてしまったりすることになりかねません。この点、合気道は、「相手と自分の気を合わせる」ことを大切にし、決して逆らうのではなく、「相手のエネルギーと共にある」という姿勢をとります。
具体的には、相手が押してきた時、力を入れて抵抗したり、押し返したりしない。その代わりに、意識を腹(自分の体の中心)において中心軸をしっかり保ち、相手のエネルギーを一度、自分の中に受け入れるようにする。あるいは、相手を愛や理解の輪っかの中に入れてしまおう、と心がける。そうすることで、相手の力を抜かし、ちょっとした力で押し返すだけで、相手を動かすことを学んでいくんです。
こんな風な記述も、参考になるかもしれません。相手の力に力で対抗せず、相手の“気”(攻撃の意志、タイミング、力のベクトルなどを含む)に自らの「“気”を合わせ」相手の攻撃を無力化させるような技法群やその原理を指す。相手に掴まれた部分を脱力して相手と一体化する感覚など、相手や自然の物理法則との調和・また宗教的な意味合いでの「宇宙の法則」と和合を図ろうとすることなど、技法から理念まで全てを広く「合気」と表現する傾向がある。
NVCも、これにとても似ています。相手が攻撃してきたら、たとえそれが理不尽なことだとしても、「何を!!!」と抵抗することをせず、受け入れる、つまり共感を差し出す。こうされると相手は崩され、お互いに愛や和解の広場に立てるようになるわけです。
私 vs あなた → 私とあなたの世界
NVCも合気道も、相手より強くなるために、筋肉をつけたり理論武装をしたり、という訳では決してないんですね。相手はともかくも、自分自身が「愛の気のフィールド」をどれだけ広げられるか、どんなことにも反応・反発せずに受け止めて愛で返せるか、という自分自身の鍛錬が大切になってきます。
合気道では、「呼吸力」は主に「技法の源になる力」と言われます。全ての武道や精神鍛錬(ヨガや瞑想など)にも通じることかもしれませんが、呼吸は全ての命の源(ソース)であり、パワーと言われますよね。生きる源につながり(呼吸を止めたら死んでしまいます)、心を整えてくれる、誰でもいつでもアクセスできる物凄いリソース、それが呼吸です。(だから使わないと、宝の持ち腐れです)
NVCでも、実は呼吸がとても大事なんです。「呼吸は共感を増幅する、呼吸は共感の一番の友」とも言われるほど。それには、いくつかの理由があります。一つは、呼吸することによって、「身体にも心にも思考にも、そして時間にもスペース(余白)ができる」と言うこと。何か言われて、カッ!となったとしても、深呼吸するだけで、体の中に物理的なスペースもできるし、時間稼ぎもできます。
「呼吸は共感の一番の友」と言われる、もう一つの大切な理由は、吐く息をゆっくり長くすることにより、自律神経のうち、リラックスや安心を司る「副交感神経」が活性化されるから。だから合気道と同様、NVCでも呼吸を味方につけることで、気持ちを鎮め、丹田に意識を集中させ、センタリングことが大切になってきます。NVCはコミュニケーション手法を超えた、ある種の精神鍛錬法でもあるんです。
合気道は、二人一組になり、決められた技をかけ合うことを基本の稽古にしていますが、これを覚えるまでは、結構、難しい、、、。右足を手前に出してから、左手で相手を掴んで、、、など、何回も練習しないと、ごっちゃになってしまいます。そのため、一教、四方投げ、体の転換など様々な技を、毎回、2時間のお稽古では、繰り返し身体を動かしながら、学んでいきます。私は初心者なので、まだこの段階です。
これはNVCに例えると、「観察、感情、ニーズ、リクエスト」と言う文法が、最初は不慣れで使いづらいし、ぎこちなく聴こえるかもしれないけれど、形に当てはめて何度でも使って見て、慣れていくことと同じような気がします。
技や文法も、一つの決まり事の形として習得し身体に覚えさせながら、それを包み込む愛の哲学をベースに実践するのが、合気道であり、NVCです。
それでは、二つに共通する、哲学とはどんなものなんでしょう?
合気道は、技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としています。そのために、技の稽古を通して心身を練成し、自然との調和、世界平和への貢献を行う等を主な理念としているんだそうです。
NVC=非暴力コミュニケーションの「非暴力」と言う言葉は、もともと平和学の父、ガンジーが発した言葉。この深い意味は、「暴力がない」ではなく「心に敵がない状態」を指しています。
NVCも合気道と同様、目指しているのは、万物との和合と、世界平和なんですね。NVCにしても、合気道にしても、目指す社会は「私とあなたとの間に調和をもたらす方法」。特に相手を敵対視し、戦いたくなってしまった時こそ、合気道とNVCの出番です。どちらもこれからも磨いていきたい技なんだなぁ、と感じ入っているところです。
まだ始めたばかりの合気道ですが、NVCとの共通点が垣間見られ、体を動かしながら、NVCを感覚的に学んでいるようで楽しいし、さらにNVCを深めていくのに、大いに役立っていきそうです。やはり何事も頭で理解するのではなく、身体知を頼りに、自分の中心軸を味わいながら鍛錬するのが、良さそうです。
前々からもそうでしたが、私のNVCのクラスは、「頭で理解するだけではなく、身体で感じるNVC」を大切にしています。呼吸をしたり、体を使ったワークをしたり、理性だけでなく直感や魂で感じることを大切に全4回のクラスを行なっています。
参加者の方の人生において、一生、血と肉となり使っていけるように、一緒に稽古をしませんか?ともに世界平和を目指し、まずは自分が作る平和を構築できるように。ご縁のある方、NVCの1ヶ月集中クラス、ぜひ参加されてください。 お待ちしていますね。
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