おかげさまで8月は、香川県の「おいでハウス」にて、福島のお母さんと子供たちと、楽しい有意義な夏休みとなりました!
福島の母子たちを呼び寄せ、香川県で過ごす「おいでプロジェクト」。84人のパトロンの方たちに総額84万1080円をご支援いただき、支援家族も3家族から5家族(うち東京家族が1家族)に増やすことができ、合せて10人の子供たちに少しでも放射能から遠ざかって過ごしてもらうことが出来ました。パトロンの方々、そしていろいろなご支援を頂いた方々、心より感謝申し上げます!以下、簡単なご報告です。
元はと言えば、私たち自身が311以降の「疎開組、そして移住組」。慣れ親しんだ鎌倉での生活に泣く泣くピリオドを打ち、西日本でどこに行こうか、、、とフラフラし、もうこうなったら子連れノマド人生だぁ!と思っていた時にたまたまtwitter上でつながったのが、峯俊いづみさん。理容師兼ヨガの先生。「うちで良ければ、使って下さい」と、いづみさんのご実家で空き家になっていた、香川県まんのう町の大きなお家を借りることに。このさとってしまったようなおねーさまとの出会いから全てが始まったのでした、、、出会いってほんとミラクルです。
ちょうど「夏休みの福島の子供たちが心配、、、」と思っていた所だったので、ここをプロジェクトで使わせて頂くことに。至急、冷蔵庫をセッティングしたり、掃除したり、車を調達したりなどなどの準備を二週間ほど。福島の家族は、大学時代からの友人の山岸清之進の同級生につないでもらった家族が3家族、そして支援金も増え、twitter上でつながった家族が1家族。プラス東京葛飾区から避難してきていた親子1家族。電車をのりついで来てくれて、みんなが「おいでハウス」に集いました。全てがご縁に任せ、導かれる旅&人生なのです。
わたしはいつも通り、エイッ!と企画を立ち上げてワーッと盛り上げただけで、あとは自然発生的にみなさんのパワーで、貴重な濃密な一ヶ月の「おいでプロジェクト」にすることが出来ました。本当にたまたまが重なって、実現されたこのプロジェクト。パトロンの方々の支援はもちろんのこと、リバースプロジェクトの関根優作くんや伊勢谷友介くん、家を提供して下さったいづみさん、宿坊を開放して下さりお友達を紹介して下さった善通寺の文榮さん、三好ルナティカナパ家族、辰巳ファミリー、森っち、たなちゃん、まんのう町役場の朝倉さんはじめみなさま、ご近所の方々や町の方々、そのほかいろいろな支援をして下った香川の方々、管理人をしてくれたイエローくん(彼はこんなネット記事も書いたよ)、免疫力アップレシピを作ってくれた天野ともこさん 、清之進(彼もフクシマでイベントをやったり、NHKのETV特集を制作したりと、精力的に活動中 ) 、そして遠いところ思い切ってやってきた福島ファミリーのみなさま!などなど。ほんとーーにつながりこそ宝物!パワーだ!と感じた一ヶ月でした。
いやぁーインターネットの威力はすごいね。今回は、CAMPFIREとtwitterに本当に助けられた。もう本当に一人一人の意識と行動力でなんとでもなってしまう時代!と痛感しました。
子供たちは最初、本当に水を得た魚とはこのことか、というぐらい、思いっきり外遊びを楽しみました。毎日、プールで遊んだり、
虫取り、田んぼの散策したり、
どろんこ遊びしたり、
近くの公園で遊んだり。
子どもらしいはつらつとした笑顔と元気にあふれていました。それもそのはず、、、4ヶ月以上、家の中にこもり、外に出るときはびくびくしていた子供たち。当たり前のことが当たり前に出来ずに、知らず知らずのうちにストレスを抱えていた子どもも多いと思います。彼らがのびのび遊んでいる眩しい姿を見るだけで、小さな規模で、全てが手探りだったけれど、このプロジェクトをやって、本当に良かったと思いました。子どもは、本当に一人一人がかけがえのない光。誰の子どもとか関係なく、みんなで育てる。生活している間に愛情も育まれ、本当に子供たちが愛おしくなりました。
と同時に、なんでこんなことになってしまったんだ!という憤りもずっと感じていました。「どこで暮らして行くにせよ、これからどんな心構えで暮らしたらいいか」「原発のことにどう向き合って行くか」という根っこの問題は常に暗い雲のように、毎日の生活に覆いかかっていたけれど、毎日の子どもの世話や炊事に追われて、なかなかゆっくりお母さんたちと突っ込んだ話ができなかったのは残念でした。それでも川俣町から来たゆっこちゃんは、7歳の長女を通わせている学校の給食に対して、産地基準を設ける申し入れをするアクションをしたり、子供たちが持たされている「ガラスバッチ」(っていうのかな?)について教えてくれたり、、、。(こんなものを3ヶ月、首からぶらさげて、その後、線量などの検査にまわされるという、ほとんどモルモットだよ子供たち、、、)
どこにいても子供たちにとって最善のことをしようと頑張っているのは、どの親も同じ。福島にいる人ほどリスクを重く受け止めている、というわけではなかったけれど、お母さんたちはみんな出来るだけのことはしたいと、それぞれが頑張っています。
ケンカもたーくさんしながら、子供たちはみるみるうちに仲良くなり、最後は本当に一つの大きな家族のようでした。特にうちの子は一人っ子なので、一気に兄弟がたくさん出来た感じ。もまれながらも、楽しみ、その中で人との関わりを学び、大きく成長したようでした。
それは子どもも大人も同じ。いきなり見ず知らずの人たちが(同級生もいたけれど)、一つ屋根の下に暮らし、共同生活を始める。バックグランドも価値観も趣味も仕事も全く違う人同士。でもみんな気遣い合い、助け合い、笑い合い、話し合い。わたしたちも含めて、それだけの大人数での共同生活にみんな慣れていないこともあり、もっとこういうルールを設けた方が良かった(例えば、炊事や洗濯当番を作るとか、子供たちにもお手伝い当番を日替わりで任命するなど)などの反省もあったけれど、みんな気持ちの良い人たちばかりで、なんかもうこのままここで、パパも来て農業でもやって(?!)、みんなで生活したいなぁーとまで思ってしまいましたよ。
なんかこういう突発的な「新しい家族」というか人のつながりをいかに信頼して、身をゆだねて、思い切って飛び込んでいけるか、生活をシフトしていけるかかどうか。それが311以降、誰もがしなやかに生き抜いて行くために必要な覚悟というか、受け入れざるを得ない変化だと思いました。とにかく「共同生活」っていうことが、今回のプロジェクトの大きな裏テーマだったと思う。「大きな家族として、みんなで暮らす」これはこれからの時代に必要な家族の形。いかに柔軟でいられるか、ちゃんと自分のことを主張できるか、譲り合えるか。うまくやリ抜くためのこういったスキルを、磨く必要があると思いました。
で、このプロジェクトは、ただ「子どもたちを外で遊ばせる」「一緒に生活する」というだけでなく、「未来の暮らし方についてみんなで実践する」ということを大切にしました。特に食事については、前回のブログでも書いた通り、かなり気を使ったほうがだと思います。肉や魚はほとんどとらず、菜食。お米は玄米。味噌、海藻類など、放射性物質に効くとされる食材を多様したり、砂糖はほとんど使わず、甘味は、フルーツ、甘酒、かぼちゃやさつまいも、ハチミツなど。飲みものも、清涼飲料水ではなく、麦茶かお茶。来る電車の中でコーラやスナック菓子を食べていた子供たち、、、帰る時には、「甘過ぎて食べられない」ともう欲しがらなくなっていたのが、何よりも嬉しかったです。
とにかくキッチンに良くいた!三食、栄養のあるちゃんとしたものを作ろうと頑張りました。大人数の食事を作るのは、大変なときもあったけれど、楽しんで美味しくなぁれ、と愛を込めて作りました。楽しかったなぁー。旅館の女将みたいで!「玄米もう食べたくない」と言う声もあったから、子供たちがもっと率先して食べてくれるような調理法を考えないとな、と勉強にもなりました(玄米ライスボールとかね)。私には、料理を作ることぐらいしか出来なかったけど、少しでも子どもたちの健康な心と身体につながれば!
それからお母さん達とマクロビ料理を習いに行ったり、
日課にしたかったヨガも一回だけだけど、みんなで出来たし、
オーガニックのお掃除方法(クエン酸+重層+オレンジなどのエッセンシャルオイルを水にいれての拭き掃除)についても、いづみさんに教えてもらって続けたり、
生活をよりオーガニックにシフトして行く学びのチャンスがもてたのは、「おいでプロジェクト」ならだったと思います。
一方で、もっと自分が信念としている「シンプルで丁寧で地球と調和した暮らし」というものを、伝えたかったのに出来なかったというもどかしさも残りました。例えばシャンプーや洗濯洗剤。みなさん普通の市販のものを買って使っていたけれど、もっと生分解性のものを使ったり、よりオーガニックなものを使ったり、わたしたちは細々とはやっていたのだけれど、「こういう方がいいよね!」ということを、もっと伝えたかった。でもそこにさく時間とエネルギーが足りなかった。言葉とか理屈では、なかなか伝わらないのだよね。伝わるタイミングってものもあるし。もっと自分が精進して、もっと素敵な生活をして、自分の信念を生活の隅々まで浸透させて、そんな「おいでハウス」を作って、またみんなを「おいで」と呼びたい。わたしの大きな課題というか、次なるチャレンジが見つかりました。
「おいでハウス」ではフツーに生活をともにして、うどん食べに行ったり、お祭りに行ったり、そのフツーの日常が楽しく愛おしかった。徳島まで阿波踊りに行ったり!はっぴ作りも踊りの練習も頑張ったねー!阿波踊りのパワーは素晴らしかった!
そしてあたたかい地元の人たちのご協力が、何よりも嬉しかったです。しほちゃんは女神さま!ぬかふりかけや甘酒アイスを持って来てくれたり、
本を運んできてくれる移動図書館サービス!大人気でした。
紙芝居をしてくれた、よろず語り部の芳地さん、
近くに住む人気者、森っち!
「支援する」ということについて考えさせられる機会でもありました。「こうしたい!」というアツい思いもいいけれど、時として「ただそこにいて、ふらっと立ち寄ったり寄り添ったり、そばにいて、何でもして欲しいことを読み取ってさっと手を差し伸べる」そんな「やわらかい柔軟な支援」がいいな、と。とにかく右も左も分からない私たち管理人ファミリー、、、でも地元のみなさんのおかげで充実した夏休みでした。
でも後半、、、子供たちはびっくりするぐらい、みんながみんな体調を崩してしまいました。口内炎から始まり、下痢、嘔吐、目やに、発熱が続き、咳、気管支炎になる子どもも出て来てしまったんです。病院にいって処方される薬もあまり効きません。専門的なことは分からないけれど、情報収集するところによると、「線量が高いところから低い所にうつってしばらくすると、たまっていた毒素が出て来て、体調を崩すことが多い」ということ。他の地域からもそういう事例を、いくつも聞きました。旅の疲れや、いきなりの共同生活、いきなりの激しい外遊び、パパがいない寂しさなどいろいろな要因が重なったとは思うけれど、素人目から判断するに、放射線物質のデトックス(排毒作用)が行なわれていたのだと思います。小さい体が知らず知らずのうちに蝕まれている、、、本当に怖かったし、やるせない気持ちになってしまいました。でも今は香川の安心できる場所にいる。だからゆっくり休養して体を正常に戻して、なるべく元気になって福島に帰ってね、そう願い、自分が出来る限りのことをするしかなかったです。切ない気持ちでいっぱいでした。
やっぱり移住して欲しい、なんでしないんだろう?と思いながら、福島の人たちと接していたこともありました。夏休みを利用してやってきてくれたお父さんたちと話すと、福島から動かない理由としては、仕事やお金が大きな原因であることもはっきりしました。(住み慣れた町で、親戚も多い、、、など他にもいろいろ理由はあるにせよ)でも「仕事なんて、お金なんて!」と言うのは簡単。わたしたちだって、即決の海外移住組からしたら「何、甘い事言ってるの!何が一番大事なの!」と攻められてしまうと思います。このことに関しては、正解なんて誰にも分からない。いろいろな情報をどう判断するかは、人それぞれ。わたしの価値観を強制することは出来ません。5年後、10年後、50年後、福島にとどまった人たちに何もないのが一番いい。そう願っているし、信じています。
でも今回、香川にやってきて、福島の方たちが少しでも「あぁ、日本にもこんないい田舎が他にもあるんやなぁ」「他の場所でも、もしかしたらやっていけるかもしれない」「kokoさんファミリーみたいに、仕事やお金がなくても、何とかなるもんや!」というように、勇気と希望を受け取ったとしたら、本当に嬉しいことです。
ここで出会った4家族は、その後、福島に帰ってからも交流が続いて、みんなで新潟に週末に訪れるホリデーハウスを借りようという話になっているようです。一週間の数日だけでも線量の低い場所に子供たちを移動させられるということで、本当に良かった!食事療法などもみんなで励まし合って続けてくれたら嬉しいな。
価値観はみんな違っててあたりまえで、違っててあたりまえなことを認めるところから相手とのほんとの付き合いが始まる。理解しようとすること=愛そうとすることだと、香川でできた新しい大切な友人、まさが教えてくれたっけ。「寛容であること」「自分の生き様を人にどう伝えるか」この二つがプロジェクトからもらった、わたしの宿題かなぁ。
ということで、わたしたちは次なるお役目を果たせるのかどうか分かりませんが、また流れに身を任せ、旅を続けることになりそうです、、、次なる「おいでハウス」は海外に作ることになる予感!
さてさてその前に、パトロンのみなさまへのお礼の発送作業!少しずつ進めております。季節のお野菜を送ったり(塩江の産直の赤松店長とおばちゃま方に感謝!)、
ステッカーは届き次第、みなさまに改めてご報告する予定でおります。詳細は活動報告に更新してまいりますね。
この子たちの笑顔の未来のために、つながり合って、どこにいても志し高く、頑張ろう!!!
そして合い言葉はいつも「原発なくても、ええじゃないか、ええじゃないか!」(こんな素敵なバッジとシールも出来たよー&まさには写真も提供して頂きました。多謝。)みなさんありがとうございました & お疲れさまでした! & これからがまた始まり!
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