通常、怒りや不安、絶望感や罪悪感というような俗に言う「ネガティブ」な感情は、社会の中で居場所がありません。そんなこと言って涙を流したり、怒った表情でいたりすれば、感情的だと言われて人が離れていくか、そんなこと考えてないで、頑張ろう、大丈夫だよ、明るく行こうよ、なんとかなるよと、なだめられたり、励まされたりするのがオチではないでしょうか。
嘆くと、どんどん負のエネルギーに引っ張られて、余計ネガティブになってしまうのではないか、そんなことして意味があるのか、それより早く解決策を!もっとポジティブに!とせかされて、嘆きは素通りされてしまいます。
だから私たちはそんな感情があっても、見てみぬふり。自分の内側に押し込めて、あるいはなるべく感じないようして、カラ元気を装い、前をむいて「ポジティブ」に振る舞ったりする。何事もなかったかのように。明るく元気な人のほうが、とかく社会から重宝されるもんです。
よく話すことだけれど、日本の小学校の標語に「明るく、仲良く、元気よく」と言うのがありますよね。でも明るくなれない時だってあるし、仲良くしたくない時だってある。嘆きたいことがあって落ち込んだり、今日は一人でそっとしておいて欲しかったりする時だって、ありますよね。
全くもってして、社会では「嘆く」場所がありません。「ネガティブ」な感情はいつだって、どこに持って行ったらいいか分からず、さまよっている。絶望はいつも、居場所がありません。だから一人一人の内側にそっとしまわれたままで消化不良を起こし、病の原因になったり、暴力的なエネルギーに転換されたりしてしまいます。
嘆きたいことって、実は結構たくさんあるはず。不安、罪悪感、後悔、絶望、やるせなさ、憤り、絶望などなど。人間は、いろんな感情があってこそ人間だし、それらを無視しているのは、自分の半分を切り取って生きているようなもんだ、と私は感じています。
嘆くことを強く意識し始めたのは、2016年、NVC(非暴力コミュニケーション)の1年間の集中トレーニング受講中。大きな部屋で30人ぐらいのサークルを作り、中央で年配の男性がしきりに大声で泣き叫びながら嘆くのを、ただただみんなで目撃し、受け止めました。ものすごくパワフルな集団ヒーリングがおき、翌日、その男性はすっきり晴れやかな顔をしていたのを、思い出します。衝撃的かつ、すごく腑に落ちる経験でした。
その後、ディープ・エコロジストで平和環境活動家の重鎮、ジョアンナ・メイシーの Active Hope の本を読んでから、グリーフ・ワーク(家族や親しい人を亡くした人が経験する悲嘆から立ち直るための心理療法)や、ジョアンナが開発した「絶望と再生のワーク」があることを知りました。
仏教徒であるジョアンは、言います。「嘆くことは、とても大切なこと。人生に苦悩はつきもの。それを感じてあげて、抱きしめてあげてこそ、そのさきの希望に辿り着けるのよ」
ジョアンナは本の中で、こんな風に述べています。
「絶望感、悲しみ、罪悪感、怒り、恐れといった感情の流れに心を開いたとき、人々が肩の荷を降したような感じになるのを、私たちは常々見てきている。痛みの中に入っていく過程の中で、何かが根源的に変化する。転換が起こるのだ。
自分の心の奥の方に手を伸ばしてみると、そこは決して底なしではないことがわかる。この世界に何が起こっているかについて、自分が知っていること、目にすること、感じることをあるがままに語ることができる時、ある変容が起こる。行動しようという決意はより固いものになり、人生に対する新たな情熱が生まれるのである。」
ドロドロした感情を大切に味わうことこそ、そこまで強い感情を抱かせる程に失いたくないもの、大切にしたいことが見えてくるのではないかと思うんです。。
現在、私が実践し、講師をしているNVC(Nonviolent Communication:非暴力コミュニケーション)では、それを「ニーズ」と表現しています。ニーズとは一人一人が共通して持っている、かなえたいこと、心や人生を豊かにしてくれること。例えば、「愛」「つながり」「認めてもらうこと」「相互理解」「希望」「成長」などがこれに当たります。
だって、そうですよね、「なぜ罪のない子どもたちが、紛争に巻き込まれて犠牲にならなくちゃならないんだ!」と嘆く人は「命」「気にかけてやること」「配慮、ケア」「愛情」「貢献」といったニーズがとても大切だから。そこに情熱がなかったら、嘆くことなんてないですもん。
そう考えると、感情って、大切にされていないニーズが何かを指し示してくれるガイドのようなもの。(参照:ブログ記事「怒りの感情」をギフトにしてしまう方法とは)
「全てはつながっている。だから怒り、不安、悲しみ、罪悪感、恐れ、そして絶望といったさまざまな感情を含む「世界に対する痛み」は、傷ついた世界に対する正常で健全な反応である」と、ジョアンナは書いています。
自分たちが大切にしていることを、もっと感じて歩めるように
まずは、しっかり嘆こう
嘆きを聴いてもらおう、受け止めてもらおう
その先に広がる希望と平和な世界を信じて
「嘆きのワーク」は、私たちと嘆くことの関係性を全く新しいものにしてくれます。嘆いていいんだ、大いに嘆くことは健全で正常なことだ、と言う新しい視点が加わるだけで、嘆くことも大きな意味を持ちえます。痛みを感じてエネルギーを解放させましょう。その先にある、自分が本当に大切にしたいこととしっかりつながりましょう。
「嘆きのワーク」はどこでも、誰でも、二人以上いればできます。一人で嘆いても良いですが、やっぱり誰かに聴いてもらう、嘆く姿を目撃してもらうことが大きなヒーリングの力になります。世界に対する痛みを感じているのは自分だけではない、と分かることはとても心強いし、痛みを感じるのは極めて当たり前だと認識することでも癒されます。
リアルに対面でできればベストですが、オンラインでもできます。以下の注意点や準備するものを参考に工夫してやってみて下さい。
・全員が安心して嘆ける場所を作りましょう。少し体を動かしてリラックスしたり、瞑想したり、自己紹介をして場を和やかにさせたりしてスタート。
・ みんなで参加者の注意点(ルールのようなもの、下記参照)を確認します。精神の病いや極度の心臓病のある方は、参加を控えた方が良いかもしれません。
・誰が先に嘆くか決めます。十分な時間が取れるのが理想ですが、一人10分ぐらいからでもOK。時間になったら、終了の合図をしてあげましょう。
・存分に嘆き終わったら、その人から感じられた「ニーズ」を、周りの人が投げかけてあげましょう。「平和」「公正」「優しさ」「愛」など。1ラウンド終了したら、次の人に交代します。
・世界に対して嘆きたいことを持ち寄りましょう。ジャーナリングなどして、書き出しておき、整理しておくと良いです。
・怒りや絶望の感情を充分に吐き出すために、安心できる場所や充分な時間の確保。大きな声が出せる環境だと、なお良いです。
・クッションや枕など、叩いても安全なもの
・ティッシュやタオル
・お気に入りのぬいぐるみやブランケット、何か安心できるものがあれば
・嘆く人は、感情を出し切って味わい尽くすことが大切です。日本人は感情表現が不得意な人が多いかもしれませんが、多少大袈裟に演技するように、発散させましょう。こんな感情リリースツールもおすすめです。
・見守る人は、なだめたり、励ましたりしないこと。充分に嘆くスペース(時間と空間)を与えてあげて、プロセスに介入しないことが大切です。もちろんアドバイスをしたり、一緒に大声で泣いたりもしない。(一緒にもらい泣きしてしまうのは避けられませんが、あえて駆り立てるようなことはしない)。背中をさすったり、こちらからティッシュを差し出したりもしない。そのかわり、嘆く人がヘルプを求めたら、すぐに手を差し伸べてあげましょう。
・プロセスに関わる全ての人は、今ここに全存在を集中させ、マインドフルに丁寧に感情を扱うように心がけます。「どう見られているか、思われているか」など、思考を持ち込まず、なるべく体感覚に任せていきます。
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文筆家でアクティビスト、佐久間裕美子に「私たちは嘆くことを、充分にしていない。もっと嘆かなければ」と話したら、彼女が反応してくれて、「世界に対する「嘆き」を抱きしめる (Sakumag 勉強会Vol.5)」が実現することになりました。オンラインで実践する記念すべき1回目!
みんなで集まって、それぞれが嘆きましょう。嘆くことはなんでもいいんです。「なんでこんなに二酸化炭素を撒き散らしちまったんだ!」「なんで世界中では、飢餓や戦争がいまだに起こっているんだ!」「なんで人権を守らない企業がこんなに多いんだ!」などなど、、、
*「嘆きのワーク」は個人的なこと(ボーイフレンドにフラれて、辛い!母が理解してくれない etc) でも、もちろんOK。そういうことも、嘆きたいですよね。でも今回は、社会課題への嘆きを中心にしたいと思います。もちろんそれが個人の生活に直結している場合も多いはずですが。
2021年5月22日(土)10AMより
チケットはこちらからお求めください。
世界に対する「嘆き」を抱きしめる (Sakumag 勉強会Vol.5)
注意事項や準備することなどもよく読んで、ご参加お待ちしていますね。
みんなでしっかり嘆き合いましょう!
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