感謝とおつかれさま、私の子宮さま

子宮体がんの宣告を受けたのが、2月1日。幸いにも初期の初期段階で、だからこそ手術をして切除するのか(大概の医者が切除手術を進め、患者もそれに例外なく従うのだけど)、それとも様々な自然療法やヒーリングを試してみて経過観察するのか、悩みきりました。

結局は、4月17日満月の日が来るとともに(満月は物事のコンプリーション、完了を意味します)、悩み抜いた末に手術することを受け入れ、私の心も体も人生の新たなフェーズに入ることになりそうです。この一連のプロセスが私にとっては大切な時間であり豊かな学びに溢れていたので、備忘録として残しておきます。そしてもしかして同じような境遇にある方、それ以外にも人生の難しく大事な決断をすることを迫られている方の一助になれば、と願って。

満月の日、「子宮への感謝&おつかれさま儀式/パーティー」に参加するため、近所に住む友達たちが我が家に集まってくれました。私の心にただただ耳を傾け寄り添い、共感やサウンドヒーリングで癒し、子宮にありがとう!お疲れ様、というお別れの会です。同じく子宮体がん手術をした方が「切除する前に、さよならの儀式をしたら良い」と教えてくれていたのでやったのだけれど、決断を確かな意味深いものにするために、この意図的な集いはとてもためになりました。物事、なにごとにも「インテンション」(なぜやるか)がとても大事。

円座(サークル)になて、OMを唱えたあと、話したのは、こんなこと。

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「ガン宣告を受けた時は、本当に信じられなかった。悲しみ、残念さ、無念さ。セクシャリティーのワークをしてきたのに、なぜ?という失望、私は本物ではないのでは、という疑いや恥ずかしさ、屈辱感。なぜ私が?といういきどおり。はじめは手術に対して全く現実味がなく、受け入れられず、精密検査をしたら1aという初期段階だったこともあり、手術以外も選択肢をいろいろ試してきた。(医者はずっと手術しかない、というスタンス)

ひたすらあたためる、様々なサプリメント(特にきのこ系)、ケーシー療法、キニジオロジー、酸素タンク、CS60など。特に食事療法やサウンドヒーリングや温熱療法は、「これで治せる気がする!」と効果を感じ、現に部位は違えどレベル3まで行った友達が自然療法でキュアしたという話しも聴いたので、それに勇気づけられ、日によっては手術しない!と決意した日もあった。(この間、支えてくれた友人たちやサポーターの皆さんに、心から感謝します)

でも心は揺れまくって、すごく悩んだ。自然療法を試してみてガンが進行してしまって取り返しのつかないことになってしまったら、どうしよう。だけど逆に自然療法を選ばないことで後悔したり、自分を責めたり、ほかの人を羨んだりしないか。心からヒーリングやエネルギーワークを信じてない?手術を選んだら、ミラクルなんてない!とレッテルを貼ってしまうんじゃない?手術はしたら簡単かもしれないけれど、臓器を切除するなんてとても不自然。とても暴力的だし、体を痛めつけることへの違和感がある。私は少し雑で合理的に力づくで、エイ!って物事を解決してしまう癖があるから、今こそそれを改める時なんじゃない?もっとゆっくりじっくり丁寧に信じて、向き合って。その方が私の心の成長にもなる。体の声を聴いても、お腹切りたくないし、痛みもないし(むしろ快調)、子宮に呼吸エネルギーが回っているのが分かる。オーリングテストをしても、手術は必要ないと出る。

 

(この間、コールドプレスジューサーを購入し、毎日ジューシングを始めた。ホルモンのコンプリートチェックもした。現段階で日本では難しいので、アメリカに郵送という形で。私の場合は、卵巣は残すことにしたので、ホルモンバランスが崩れることはないかもしれないが、念のため。体のことをよく知る大きな学びです。)

ましてや女性性の象徴でもある、子宮。それを取り出してしまう、という感情的、精神的な抵抗はとても大きい。女性性、クリエイションの源が失われてしまったら、自分がインコンプリートな存在になってしまうのでは。いやでも、これからは物理的な体の部位に頼らず、私がもっと大いなる存在とつながって、創造していく時。目に見えない母性、大いなる女性的エネルギー(Divine Feminine)と、さらに深くつながって。体の部位がなくても立派に魂を成熟させている人は、たくさんいる。姿形に捉われずに、進もう!という気合が入る時も。

この間、頭はだいぶグルグル。早くはっきりすっきり答えを出して進みたくて、苦しかった。でもとても信頼できる、京大の先生に出会うことができた。そして二人三脚で歩んでくれるパートナーのおかげで(彼はどうしろという答えよりも、ただプレゼンス、そこにいるというサポートを差し出してくれた)、全ての感情を大事に味わえた。家族と春の桜の下でのんびり過ごしながら、桜の涙が出るほどの純粋ではかない美しさとともに命の誕生と輝きとつながりを味わい尽くしながら、じっくりゆっくり自分のために迷う時間を与えてあげたのは良かった。この迷いきるプロセスが本当に大事だった。一生に、命に関わることだから、そんなにはっきり結論が出せなくて当然と、その時間を自分に許した。結論が見えなくて苦しかったけれど、居心地の悪さに居続けた。

 

花びらがハラハラと散っていく姿も拝み続ける中、手術予定日の5日前、もう一度、先生との検診。超音波で再検査をしてもらって、細かい質問にも丁寧に答えてもらった時、手術を受け入れようと思った。それはよし!やるぞ!すっきりした!という類いのものでは決してなく、とても消極的選択ではあるけれど、腑に落ちた感じ。手術するならこの人!という先生に出会えたのも、手術を受け入れる、大きな後押しになった。もう待てないという気持ちもあった。決着をつけなくてはいけない。腹を括って、前に進もう。

 

手術をする。西洋医学にもお世話になる。私の子宮のお役目は終わった。娘を身ごもり、育て上げ、出産し、役割を全うしてくれた。奇しくもちょうど、娘はプチ親離れして、私の両親宅で居候し始めた。なんだか象徴的だなぁーと。傷ができるのは嫌だし、臓器がなくなっちゃうのも本当にいまだに信じられない。でも女性性が失われてしまうのでは、私はホールサムな人間で亡くなってしまうのでは、とは思わない。逆に物質的なものに捉われず、全エネルギーとしてさらにこれから創造を続け、子宮がない分、全存在でクリエイションをしていく、全存在が大いなる女性性と母性とソースにつながり続ける。子宮さえも産み落として、私は次の次元に上昇していく!

 

本当によくできたもので、春の訪れとともにやってきた波を、桜ととともに味わい、桜のトンネルを抜け切って、向こう側にある次の光に到達した感じ。そうしたら新緑が勢いよく芽吹くころになっていて、もうすでに新たなフレッシュなバイタリティー、新しい命の流れを感じている。身体が共鳴する四季の変化、自然のリズム。

今は感謝しかない。こうやって味わい尽くせることへの感謝、医療技術への感謝、パートナー、家族、友人、先人たち、ご先祖様、私の心、子宮への感謝。命への感謝。

そしてすでに術後の私が、変に聴こえるかもだけれど、どうなるか楽しみな気持ちもするし、すでに悲しみや不安よりも、開かれた好奇心の方が優っている気がする。」

 

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サークルでは、そんな取り止めのない私の心のジャーニーの話をさせてもらいました。集まった友達はただただ静かに聴いてくれて、終わったあと、思い思いに言葉を返してくれました。

 「kokoちゃんだったら、全部、感じるだろうという信頼があったよ。しかもワクワクしているとは!」
「いろんな感情を味わい、自分の答えを見つけていくことをそばで見守らせてくれて、一緒に旅してるみたいで、とても豊かな気持ち。ここにいさせてくれて、一緒に感じさせてくれて、ありがとう」
「いろんな感情を書き記したお手紙を読んだみたい。それに封をして、ひとまずそこに置いて、次に進む。悩んでいるのを知っていたからこそ、安心した」
「今回のことに、自分なりのしまいをつけたんだね(始末をつける、片をつける)」

はぁー、人が人を支えることの確かさよ。プロセスを見守ってもらうことの、なんという安心感。知ってもらうことで立ち現れる勇気や自信。そこにいた子どもも、真剣に話を聴き、私の涙を感じて手を握ってくれました。そして妊婦さんも二人いたのだけど、受け継がれていく命のバトン。人が人と関わり合っていくことって煩わしいこともあるかもしれないけれど、やっぱり人が人といることによってしかなし得ない豊かな時空がそこにはあり、私のこの一連の心のジャーニーが、ひとまずの完了を迎えた気がしています。

(小さな友達にこんな手紙ももらったよ。ジーン)

みんなにNVC(非暴力コミュニケーション)のニーズのカードを選んでくれることもお願いしました。ウェルビーイング、信頼、受け入れること、仲間、つながり、安心、感謝、選択。みんなが鏡のようになって私の心を写しカードを選んでくれたことで、あぁー私はそういうことを大事にしてるんだなぁ、と改めて。

今回のことに限らず、迷うことが人生には必ずある。迷い続けることもある。生まれてきた時から、人生は苦悩に溢れていて、それにどう対処するかが人生というものだと仏教では説いています。

だからこそ大切なこと。まずはとことん自分で納得がいくまで悩みきること。時間をかけて。揺さぶられながら。発狂し、もがき、苦しみ、嘆きながら。ゆっくり時間をとって、様々な感情を味わうこと。違和感も、全て。そこに「迷い」というカードがあったとしても、それもOK。それも味わう。もっともらしい、どこからか拾ってきた回答にくつろいでしまうことなく、自分の心と体にチェックインして、そこから離れずにいる鍛錬をする。今回の経験で、まず感じた大きなことは、そこの豊かさだなぁと味わっています。

それには人のサポートが大事。共感も大事。自然も癒してくれる。教えてくれる。そうやって支えられてこそ、初めて見えてくる境地がある。ようやく結論じみたものが見えてきたら、それに責任を持って進むこと。どんな苦行でも受け入れて自分の中で消化すれば、それは学びになり、ギフトになり、感謝の気持ちになる。そこを避けては、次の展開、次の扉には行きつかないのだけれど、そこを通過すると、やり切った感もあるし、その先に個としての自分の経験を超えて、何かもっと大きなものにつながる用意がされている気がしてなりません。

でもそれはまた、その先の話。先回りして意味づけせず、その時々焦らず味わっていくのみと思っています。ひとまずは安心してリラックスして、手術、臨んできます。最善の決断と信じて。私の子宮、お役目をありがとう。おつかれさま!


そしてこれからも自分の気持ちに正直に、その時々の感覚を大切に、人とのつながりに感謝して生きていくのみです。また悩んだら、悩めばいい。いつでも自分を信じ、自分を生きるのみ。命ある限り!みんながみんな本質を大事にすることで、真の平和の世界が訪れることを願っています。

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