ヴィパッサナー瞑想から帰還しました。今回は4回目にして、初めての奉仕者としての参加。これまで千葉のセンターで2回、京都のセンターで1回、それぞれ10日間コースに生徒として参加させていただいていましたが、今回もまた格別の素晴らしい経験でした。備忘録として、残しておきます。
ヴィパッサナーは私にとっては「本質の自分に戻る強制リセット」みたいなもので、ここ10年ほど、2~3年に一度参加していて、今回もそのつもりでした。それがひょんなことから、今回は「奉仕者」としての参加に。「奉仕」も良いよと聴いていたし、「そろそろ奉仕の経験する時だ」と思っていたので、願ったり叶ったりでした。
奉仕をする「奉仕者」は瞑想する生徒さんの世話係です。ご飯を作ったり、鐘を鳴らしたり、掃除したり、AT(アシスタント・ティーチャー)と呼ばれる方との仲介役をしたり(コース中は、「聖なる沈黙」と言って、誰とも話さない、目も合わせません。もちろんスマホも没収。外界とのやりとりは遮断され、とことん内側に向かっていく時間です)。
私は、キッチンスタッフとして、食事係を担当。主に30人分の朝食(お味噌汁)と昼食(簡単だけれどとても美味しいヴィーガン食。メニューは決まっています)を毎日作らせいただきました。トイレ掃除をする覚悟をして行ったので、なんかちょっと得した気分でした(笑)。
スケジュールは、毎日午前4時30分起床、1時間瞑想してから、午前5時30分から食事作り。その後、午前8時、午後2時30分、午後6時からのそれぞれ1時間のグループ瞑想時間以外は、わりと忙しく働きます。やることが多くて、結構疲れるし、作業段取り考えたるするので頭も使うし、そのためあまり瞑想も深く入らずに残念な気持ちもしました。でもそれ以上にかけがえのない時間や気づきがあったので、まとめておきます。
何よりも収穫だったのは、筋金入りの瞑想者と知り合えること。奉仕中は野菜を切ったり、食器を洗ったり、煮炊きしたりと、みんな黙々とよく働来ます。でも休憩時間には、瞑想や人生についてたくさん話しができました。「瞑想は集中力をつけるのではなく、どんな時も平静な心を保つことを訓練する場」「マインドの訳は、思考ではなく、心。心は三つに分けられる。それは、思考する心、感じる心、それを見ている心」「大事なのは、二つ。一つは親への感謝。もう一つは、もうすでに持っているもので充分OK、執着を手放すこと」「瞑想では、ネッカマ(放棄)や、アディッターナ(強い決意)が大事」など。長年、瞑想して来た人たちと瞑想談義が深められらことは、大きな学びになりました。
疲れてくると、「自分がやっていることだけでいいや。あとは人に任せよう」と、なったりもした私。そんな自分を観察して、未熟さを思い知らされ、自己嫌悪になったりした時もありました。
でも奉仕者の中には、いつも気をまわしてくださって菩薩みたいな人もいるんです。「メッター(愛と思いやり、慈しみの気持ち)」がいつも放出されているような。(ヴィパッサナーの目的は、ほかならず、この「メッター」を育てる「生きる芸術」を習得し深め続けることにあります)。そう言う方のエネルギーは、本当にありがたいし、そんな場はあたたかく調和に満ちていて、慈悲の心も伝染していくと実感しました。「余裕がなくなる時はないんですか」と聴いたら「そう言う時は、休みます。まずは自分を整える」そうですよね。「無償の愛」って聞こえは良いけれど、自分に余裕がないと、できないもの。愛を差し出すためにも、まず自分の内側を整える瞑想は欠かせません。
後半にかけてキッチンも落ち着いて来たので、一日半ほど休みをもらって、生徒さんたちと座らせていただきました。その経験がまたすごくよかった。奉仕してくれている仲間たちを知っているし、彼らが私を気にかけてくれているのがすごく伝わって来て、心の奥底から支えれている有難いさを感じ、ジーンとしていました。
だから悪いなぁ、とか思わずに、その愛をしっかり受け取って座ろう、と。そうしたら、この一日半はものすごく集中できて、深く深く自分の内側に入っていけた気がします。終わったあと、その体験を話したら、「座ってくれて、ありがとう」と言われて、またジーン。そうやって持ちつ持たれつ、愛の連鎖で全ての命がつながっている。私ももっと積極的に愛を差し出せる人間になりたいな、と思いました。
ヴィパッサナー・センターの場は、何から何までいちいち感動するんだけれど、一番素晴らしいといつも胸を打たれるのは、組織の成り立ち。ブッタの教えを後世に蘇らせたゴエンカ師の「支払いを得ずに広めよう」と言う思いから、今や世界中に150箇所以上あるヴィパッサナー・センターは全て寄付(ダーナと言います)で成り立っています。だから「何一つとして無駄にしない」と言う精神が徹底しているんですね。キッチンでも熟れすぎた柿はジャムにするし、残った小松菜のおひたしはカレーに入れるしと、徹底した物を廃棄せず、徹底的に大切にする姿勢に、胸を打たれました。
キッチンは事務所も兼ねているので、しょっちゅう、宅急便が届いたり、外部から電話がかかって来たりします。だから組織がどんな風に回っているのかもある程度、理解できるのは、とても勉強になりました。
エネルギーの交換がお金に頼らないでできている、それでも(それだからこそ)ここまで教えが広がったと言う事実にとても勇気付けられるし、この資本主義が蔓延している時代にこんな聖地ってないなぁー、とそのことばかり考えていました。
それ以外にも、ヴィーガン料理のレパートリーが増えた、かけがえのない新たな瞑想仲間とのつながりができた、スマホオフ、家事や仕事から離れて生活できたなどなど有難いことしかなかった10日間でした。とにかく楽しくて心の底から笑ったし、瞑想者に奉仕できる自分が好きだなぁー、こう言うエネルギーで人が生きることは、人間としてとても純粋な行為でいつもこうありたいなぁ、と感じました。
さて、雑念やお金との折り合いをつけ、生きとし生けるものの幸せを願い、無償の愛を光り輝かせて生きるとは、具体的にどう言うことなのか。それは人それぞれ違うけれど、私の道な何なのか。これからの自分の活動、どうやって生きていきたいのか、何に注力したいのかと言うことを今一度、浄化した心で考え、2022年につなごうと決意して帰って来ました。
今回、私が奉仕したことで恩恵をえた生徒さんたちがいることを信じて(最後、それぞれの体験がどうだったお話しする機会がなかったので分からなかったのですが)、見返りを求めず、これから邁進していこうと思います。
奉仕者のみなさま、10日間、お疲れ様&ありがとうございました!
ヴィパッサナー・センターで修行する瞑想法についても少しだけ書いておくと、大きく分けて、「二つ+α」の瞑想法で成り立っています。最初の3、4日間はアーナパーナ瞑想(呼吸に気づく瞑想方法。鼻の下に一点集中して、集中力を高める)、そのあと後半がヴィパッサナー瞑想(体の感覚に意識を巡らせて、感覚に気づくとともに、どんな感覚があらわれても反応しない練習)、そして最後にメッター瞑想(愛と慈しみの波動を育て広める)です。
その前にシーラ(戒律。話さない、盗まないなどの5戒律)があり、次にサマディー(集中、心のコントロール)を行い、最後にパンニャー(智慧。心の汚濁の取り除き方。日本語で言うと、「般若」)に到達すると。
それだけ書くと、全く分からないと思うけれど、とにかく一日12時間ひたすら瞑想することで、「感覚をとらえる平静な心」を体験的に学びとるのがヴィパッサナー。あと個人的にはずっと続けているマインドフルネス呼吸瞑想やNVC(非暴力コミュニケーション)と非常に相性がいいけれども、フォーカスの違いもあったりして、頭が混乱しつつも、さらに自分流に修行を進めていきたいと思いました。
最後の日は雪景色となり、それと呼応するかのように瞑想ホールもシーンと静まり返って、みなさんの呼吸と意識が深く研ぎ澄まされていたのが印象的でした。静かなまっさらな純粋な心を磨けるよう、人生の苦悩に反応しない訓練をする素晴らしい修行を、これからも続けていきましょう。
おちついた静かな心で
スキのない注意深い心で
バランスの取れた平静な心で
呼吸に気づく
体の感覚に気づく
これがどんなものであれ、渇望や嫌悪などの反応を生み出さない
完璧な平静さを訓練する
私が幸せで、安らぎに満ちていて、真の自由でありますように
生きとしいけるものが幸せで、安らぎに満ちていて、真の自由でありますように
May all be happy, be peaceful, and liberate!
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